中国のクラブシーンについて
僕は現在東京でDJ活動をしていますが、その前は中国でDJをしていました。なので、双方の視点からDJやクラブについて考えることがあります。
でもまだまだ知識が浅いので、もっと追求したいなーと思ってます。そんな僕にぴったりな、中国クラブシーンに関するドキュメンタリーを最近発見しました。
中国クラブシーンの歴史や現状にフォーカスした「Break The Wall」というドキュメンタリー動画です。
とても興味深い内容で、今まで自分が経験したことにもつながることが描かれていたので、見解なども加えながらまとめていこうと思います。
中国クラブシーンの起源
この「Break The Wall」は、Yang Bing(ヤンビン)という中国クラブシーンのリーダー的DJを中心に話が進められていきます。ヤンビンは中国で最も早くにDJを始めた人物と言われており、20年以上も活動を続けています。
彼が小さいとき、流れていたのはすべて中国の伝統的な音楽でした。1980年代、中国でもロックが登場し変化が起こり始めましたが、それでも電子音楽はまだ誰にも興味を持たれていないジャンルでした。
しかし、留学帰りの友人に”イギリスでロックはもう流行っていない、今はテクノの時代だよ”と言われ、これをきっかけに彼は電子音楽に目覚めます。
そして、ヤンビンはテクノ好きの友人らと北京の胡同という地域で小さなパーティーを始めました。この中の多くは、現在の中国クラブシーンでも未だに活躍中です。
ヤンビンは、彼そのものがシーンと言えるくらい経験や影響力を持ち合わせています。つまり彼が電子音楽に目覚めたこの瞬間が、中国クラブシーンの始まりと言っても過言ではないかもしれません。
中国シーン発展のきっかけとなったレイブパーティー
ヤンビンはその後、万里の長城でのレイブパーティーに参加します。
このパーティーは、ヤンビンの友人だったラジオDJのYOU DAI(ヨウダイ)と、スイス人のマイケルらによって企画されました。
当時のことをヨウダイとマイケルはこう語っています。
ヨウダイ「最初にアイディアを出したのはマイケルでした。そのとき僕はマイケルに言いました、”君はクレイジーだ”って」
マイケル「万里の長城で史上初のパーティーをやるのは僕の夢だったんです。そのときはビルクリントンが北京に初訪問していました。僕たちはそれに合わせてにオーガナイズしたんです。万里の長城での史上初のパーティーを」
パーティーでは2日間ノンストップで音楽が放たれ続け、トータルで約500人が参加しました。歴史的シンボルの万里の長城で行われたこのレイブは、当時の閉鎖的で用心深い中国で少しだけ新たな方向性を示しました。
クリントンが訪中したのが1998年ですから、90年代後半の出来事ですね。日本だと長野五輪が開催されていた年です。クラブだとヴェルファーレが全盛期の時代くらいでしょうか。
中国は今でこそ経済発展が目覚ましいですが、それもここ10年くらいのことです。なのでこの頃の中国というのは閉鎖的で活気もなかったんじゃないでしょうか。
そんな中、中国クラブシーンの起源とも言えるこのイベントが開催されたわけです。
その後マイケルは帰国してしまったようですが、ヤンビンについてこのように語っています。
マイケル「僕はあのときのことが今でもヤンビンにインスピレーションを与えてくれることを願ってます。そして、彼が中国のクラブシーンでとても重要な人物として今でも活躍していることがとてもうれしいです」
その後
この1998年の出来事以降、多くの変化を重ね、、電子音楽は「エレクトロミュージック」として、現代中国でも確立されています。90年代には想像もできなかったシーンが現在にはあります。
Chaceとか世界的なアーティストも出てきてますよねー。
しかし、万里のレイブをはじめとする90年代の名残は今なおあります。全ては万里に繋がっていて、全ては万里から広がっていきました。
次回はその後の2000年代について↓